スタッフ紹介(一部)

代表取締役 大谷 義武 おおや よしたけ

生年月日 昭和50年10月06日

埼玉県熊谷市出身|さいたま市内在住

※相談スタッフの指定はできかねますので、ご了承ください。

経歴

くるみ保育園(昭和57年卒)

熊谷市立熊谷西小学校(昭和63年卒)

私立浦和ルーテル学院中学校(平成3年卒)

埼玉県立浦和西高等学校(平成6年卒)

河合塾大宮校(平成6年4月~7年3月)

東京大学経済学部経済学科(平成11年卒)
  経済学部ゼミ:伊藤正直ゼミ所属(日本経済史)
  部活動:運動会庭球部

平成11年東京大学卒業後三井不動産株式会社入社

同社において商業施設の開発・運営業務、オフィスビルの運営業務に携わる

平成17年12月末日をもって三井不動産株式会社を退社。同時に有限会社武蔵コーポレーションを設立。

趣味

仕事(ほとんどの時間を仕事に費やしています)

読書(歴史書および古典をひたすら読んでいる)

ワイン(あまり詳しくないのですが最近毎日飲んでいます)

家族

妻 長男 長女

尊敬する人

小野田寛郎氏(陸軍中野学校卒業 元帝国陸軍少尉)

吉田松陰

好きな店

すし堺(大宮 寿司)

ガラバーMIZUNO(北与野 ワインバー)

瑞麟(大宮 中華)

銀座うかい亭(銀座 鉄板焼)

SEZANNE(丸の内 フレンチ)

銀座 百楽(銀座 和食)

創業の想い

私は大学卒業後、三井不動産といういわゆる大企業に就職しました。経済学部だったので国際金融というのがかっこいいというミーハーな気持ちから日本興業銀行に内定をもらい入社する予定だったのですが、朝早く起きるのが苦手だったので辞退し、深い理由はなかったのですが、母の勧めと何となく不動産というものに興味があったので三井不動産に入社しました。

三井不動産はいわゆる大手で、何不自由ない生活をしておりました。商業施設である「ららぽーと」やオフィスビルのリーシングの仕事をしておりました。営業は楽しく得意だったので楽しかった思い出があります。定年まで勤めるつもりで入社したのですが、社会人生活を経るうちに私の特性は会社員ではないのではないかという思いが強くなっていきました。何か新しいことを企画したり実現することが好きでしたし、大きな会社の一員としてではなくもっと直接的に自分自身で日本に貢献したいという思いが強くありました。

萩往還を自ら歩き、吉田松陰先生の生き方を目の当たりにしてこの思いがより強烈に、そして抑えられなくなりました。
一度しかない人生ですし、森信三先生のお言葉によれば、人は一枚のハガキをもってこの世に生まれ、そこに自らの使命が書かれているとあります。私は起業家として日本に貢献していき、一人でも多くの方々の幸せ、笑顔に寄与すると同時に経済活動を活性化することで日本社会の役に立てる人間になろうと決意いたしました。

ただ、三井不動産という会社が立派すぎて何か独立起業してそのまま活かせるという仕事はなかったので何で起業しようかを迷いましたし、わかりませんでした。

たまたま、私が20代の後半に祖父が他界し、母が祖父から相続した土地に母から言われアパートを建てるという経験をしました。
これは決して私が能動的にしたものではないのですが、アパートを建てるという「事業」がものすごく面白く、興味が湧きました。アパートを建てた後、小さいのですが中古の収益不動産を購入もしました。ただ、この時に収益不動産のことがわかる不動産会社がなく、皆住宅の片手間に収益物件を扱っていましたので、賃貸管理の話やファイナンスの話など何も分かりませんでした。そのため、物件を購入するのにものすごく苦労をした経験があります。

自分が実際にアパートを建てたり、中古の物件を買ってみたり、オーナーになってみて、このビジネスは今後伸びるなと確信しました。
確信の直接の根拠は平成17年(2005年)の小泉郵政選挙です。この選挙が意味したものは、日本が今後小さい政府を目指すことによって国民の自己責任が強くなり、一部の勝ち組(富裕層)と大多数の負け組(貧困層)に分かれ、アメリカ型の格差社会が到来し、日本人が不安になっていく社会が到来することを意味しました。

そのような社会は個人的には反対ですが、その社会には個人の資産運用というニーズが大きくなっていくだろうと感じ、また自らのアパートオーナーとしての経験が生かせ、かつ、既存の会社で収益不動産、個人の資産運用を専門にした会社がないのは大きなチャンスだと確信し、起業を決めました。そして何よりも私自身が収益不動産(アパート)のことに興味があり大好きでした。この大好きな分野で起業したのが私が30歳の時(平成17年)です。

私が三井不動産を退社して起業すると言うと周りは皆反対でしたが、全て無視して起業しました。私の使命を実現し、日本の役に立つためには、私の安定も将来の保証も全く関係がありませんでした。
起業当初はたった一人でお金も信用も実績もなく、ただただ大変でしたが、世の中のニーズはものすごいものがありました。連日多くのお問い合わせをいただき、起業後5年間は休みなく毎日深夜まで仕事をする環境でした。忙しかったもののとても楽しかったです。

それは、物件を買ってくれた方々や売ってくれた方々から「ありがとう」の声を沢山いただけたからです。「仕事ってこんなに喜んでくれるんだ」というのが三井不動産時代には経験したことがないことで本当に励みになりました。もっともっと喜んでくれる人を増やそう、笑顔になってくれる人を増やしたいという想いで、収益不動産の仲介から始めましたが、売買、賃貸管理、工事という形で資産をトータルでサポートできる体制を築いてきました。

この創業の想いを今後の会社経営においても忘れることなく、一人でも多くの方の幸せに寄与していきたいと思います。

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